歩む会 妙見演習林便り

歩む会の活動を掲示します。

歩む会4月の行事 佐紀盾列古墳群の歌碑巡り(抜)

参加者:3名 

 昨年10月百舌鳥古墳群を巡った際、水本さんが参加され大仙陵古墳の西側にある磐之媛の万葉歌碑を前に犬養節で朗詠された。今年1月の妙見フィ-ルド山開きの際、歩む会行事として佐紀盾列古墳群の歌碑巡りのご提案を頂いた。歩む会行事で平成23年2月山の辺道の万葉歌碑巡りを水本さんにご案内頂いたことがある。

 週初の天予報では雨模様だったが、昨日NHK20.55の予報では午前・午後とも降雨確率は40%であり、NHKデ-タ予報では奈良市は10.00~18.00まで曇天だった。水本さんは詳細な資料を用意していただいた。

 近鉄大和西大寺駅10.00集合、駅前から北上し秋篠川を渡る。県道52と合流少し進むと第48代稱徳天皇(第46代孝謙天皇)高野陵。佐紀盾列古墳群の西群に属する佐紀高塚古墳は全長127mの前方後円墳宮内庁は稱徳(孝謙天皇高野陵に治定しているが、在位は孝謙天皇749~758,重祚して稱徳天皇764~770であり古墳築造の時期と異なる。

 県道52に戻り少し北上、右折し細い道を上がると第13代成務天皇狭城盾列池後陵がある。佐紀石塚山古墳は全長219mの前方後円墳、佐紀陵山古墳は全長207mの前方後円墳奈良時代歌人・笠郎女は大伴家持に29首の歌を贈ったとされるが、その内の一首を御陵前で水本さんが朗詠

 君に恋ひ いたもすべなみ 平城山の 小松が下に 立ち嘆くかも    巻四-593笠郎女  

 宮内庁畝傍陵墓監区佐紀部事務所横から細い地道を進む、八幡神社・史跡瓢箪山古墳(全長96mの前方後円墳)・猫塚古墳(全長120m・前方後円墳)・佐紀町墓地・塩塚古墳(全長113m・前方後円墳)を過ぎ右折東進、オセ山(マラ塚)古墳(全長65m・前方後円墳)を過ぎると県道751(木津平城線=歌姫街道)と合流。

 歌姫峠近くの添御縣坐神社(ソウノミアガタニイマスジンジャ)で小休止。神社の存在は奈良時代前半の古文書にも記されている。歌姫の地は木津川水系と大和川水系に分かれる「水分」の地、また、大和国山城国の境界にある地理的に重要な地だった。祭神は「建速須佐之男命」「櫛稲田姫命」「武乳速命」の3柱。境内には菅原道真長屋王の2人の歌碑があり水本さんが朗詠

 このたびは 幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに       菅原道真

 佐保過ぎて 奈良のたむけに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとそ  巻三・300長屋王

 県道751を南下、途中で左折東進、八上池南から右折南下。さらに左折すると水上池畔に出る。平成17年1月水鳥を観察した場所。池畔の遊歩道を北上、オオバンが遊泳。ほどなく仁徳天皇皇后磐之媛命平城坂上陵。ヒシャゲ古墳は全長219mの前方後円墳。昼食休憩。磐之媛命は葛城襲津彦の娘で武内宿禰の孫にあたり皇族以外の身分から皇后になった先例とされる。

 前方部の拝所前から右折し南下、コナベ古墳は全長204mの前方後円墳。小奈辺陵墓参考地として宮内庁が管理しているが被葬者は不明。墳丘の裾は崩れないよう蛇篭を使った護岸工事がされていた。前方部を左折ウワナベ古墳(陵墓参考地・全長255mの前方後円墳)の間に航空自衛隊奈良基地があり、ここを右折し県道104を南下。海龍王寺がある、伝承では天平3年(731)光明皇后の発願で建立されたとされる。突き当りを右折西進。法華寺聖武天皇光明皇后の発願で建立された総国分尼寺。皇后の父の藤原不比等の邸宅跡に建つ。

 ここから南下。平城宮跡の南東部から宮跡に入る。東院庭園は昭和42年に庭園遺跡が発見され、平成10年に復元された。稱徳天皇は東院玉殿を建て宴会や儀式を催した。観光ボランティアの説明がある。発掘調査で採取した植物遺体から樹木を推定し植栽された。中央建物・北東建物・隅楼などの説明があった。

 発掘調査で出土した柱根・鳳凰文鬼瓦・三彩丸瓦・緑釉平瓦などが展示。大極門前を通り西進、北に第一次大極殿、南に朱雀門を眺める。奈文研平城宮蹟資料館前を北上、左折し県道104(谷田奈良線)を西進。近鉄大和郡山駅14.30着。記録については水本さんの資料を借用しました。

(北坂 記)