歩む会 妙見演習林便り

歩む会の活動を掲示します。

歩む会7月の行事 大阪くらしの今昔館・毛馬の閘門

令和4年7月21日   参加者:2名

 これまで人々の暮らし・町並み・風景など各地の風致地区や歴史的建造物を訪ねてきたが、今回は大阪市立住まいのミュ-ジアム”大阪くらしの今昔館”見学を計画した。地下鉄天六駅集合10時。当館は3号出口に面した住まい情報センタービル8階にある。ビル内4号エレベータを利用した。

 大阪の都市史は、古代の「難波京」、中世の「石山寺寺内町」、近世の「大阪城下町」、近代の「大大阪」があるが、常設展としては9階に各時代の町並みが再現されているということだが、現在室内天井改修工事のため閲覧出来ない。8階では「モダン大阪パノラマ遊覧」をテーマとして「近代の大阪」が中央部に6ポイント常設展示されている。期間限定として「いざゆかん。モダン都市大坂」がテ—マになっている。

 会場に入ると順路右手の壁に沿って、嘗て中之島にあった近代建築の3代目市庁舎のステンドグラス・シャンデリアが壁際に展示されている。大阪市の市章「みおつくし」を中央に据え、両側に月桂樹を廃したデザイン。装飾金具が取り付けている。

 続いて、「くらしの道具」として明治後期・大正・昭和初期の様々な商品・道具が並べられて展示されている。商品パッケ-ジデザインはアール・ヌ-ボやアール・デコなど当時の西洋様式影響を受けたものが多い。さらに、近代都市住宅年表が掲示されていた。

 反対側の壁面はからくり錦絵が、造幣寮・心斎橋・梅田ステンショの3枚の「からくり仕掛け」の絵巻。明治時代に入って、文明開化のなかで浮世絵に描かれた江戸時代の風景がどのように変わっていったのか、次々に小場面の挿入によって判る仕掛けになっている。その隣には天神祭りの壮大な船渡御のシーンが。船数が多すぎて、どこに御輿が御座しているのか探すのに苦労する。

  

 常設展は明治・大正・昭和の大阪の暮らしを、住まいの大阪六景の精巧な模型で紹介している。①川口居留地・文明開化と西洋館(明治17年)、➁北船場・旧大阪三郷の近代化(昭和17年)、③大大阪新開地・市街地の拡大と近代長屋(昭和10年頃)、④空堀通・商店街.路地.長屋(昭和13年)、⑤城北バス住宅・転用住宅と戦災復興(昭和23年)、⑥古市中団地・計画的団地の開発(昭和31年)、番外に⑦大阪新名所・通天閣とルナパ-ク。住まい劇場は④~⑥の風景が住み替え物語風に20分の映像化して上映。


 隣室の企画展では「商都大阪の豪商加島屋」。加島屋・廣岡家の商い・住まい・くらしを紹介。加島屋は江戸時代米仲買や蔵屋敷の管理を行い、堂島米市場の中心的存在だった。
①商いでは米切手=米との交換を約束する証券、包銀用印、判書帳
➁住まいでは加賀屋本宅図(天保11年)、加島屋の店構えが描かれた絵図。
③くらしでは廣岡家所有の美術品
の数々が展示されていた。加島屋・廣岡家は現在の大同生命の源流であり「加島屋本宅」を再現した模型を大同生命本社ビルで展示中。また広岡浅子を主人公としたNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」は2015年放映された。大阪くらしの今昔館は2019年5月入館者が500万人を超え、2021年4月開館20周年を迎えた。

 その後毛馬の閘門に向かう。毛馬の第一閘門は新淀川と旧淀川(大川)の間に生じた約1mの水位差を解消し、船が安全に航行できるようにする為に作られた。新旧淀川が分岐する部分を2つの扉で仕切り、その中に船を入れて扉を閉め、扉と扉の間(閘室)の水位を、進行方向にある川の水位と同じにすることで2つの川の水位差を解消する仕組み。パナマ運河と仕組みは同じ。パナマは1914年完成距離は約80km。毛馬の閘門は明治40年(1907)完成。当時舟運は盛んだったが、30石船から外輪船に代わっていった。ただ明治43年京阪電車が開通してから旅客や貨物輸送は鉄道に変わっていった。昭和37年(1962)には貨物船が無くなり砂利採取船のみが航行した。その閘門は現在埋め立てられ空堀となっているが前後の扉は付いている。閘室に入った船が水位の調整の時に上下に動かないように繋ぎとめる係船環がある。

   

 閘室扉上の橋を通って対岸に渡る。淀川左岸水害予防組合記念碑、組合は大正8年(1918)設立された。日蘭交流400周年記念広場の碑がある。この地は明治時代のオランダ人技術者デ・レイケの提案の「洪水路三ツ頭(毛馬)の地より今狭隘なる中津川を経て海に達せむべし」を踏襲して行われた新淀川開削の起点にあたる。デ・レイケ指導で出来た草津市砂防堰堤「日本の産業遺産300選・土木遺跡:オランダ堰堤」は平成25年2月歩む会行事で訪れた。

  

 沖野忠雄碑の前のベンチで昼食休憩。目の前に淀川大堰が見える、最近の降雨量が多いためか流水は多い。昼食後、旧毛馬洗堰の見学。閘門と同時に完成した洗堰は淀川の水を大川に流すための施設で10ヶ所の水通があったが、新しい洗堰の為北側の2/3が撤去され1/3が残った。旧第1閘門と共に旧洗堰も国の重要文化財。また、毛馬閘門・洗堰群は土木学会選奨土木遺産でもある。歩む会で令和3年4月訪れた大阪狭山市南海電鉄煉瓦造暗渠群も土木学会選奨土木遺産だった。

 淀川河川事務所毛馬出張所の裏に毛馬排水機場(昭和58年完成)・現在の毛馬閘門(昭和49年完成)・予備閘門がある。この北側新淀川に淀川大堰がある。新淀川堤防を少し遡ると与謝蕪村生誕地碑と句碑がある。与謝蕪村俳諧・絵画に偉大な足跡を残した。江戸時代中期の享保元年(1716)、摂津・東成郡毛馬村に生まれた。句碑は「春風や 堤長ごうして 家遠し」。「春風馬堤曲」について、門人に充てた手紙の中で「春風馬堤曲は毛馬塘(ツツミ)也、即ち余が故園なり」とした上で、幼児の頃の思い出を書き綴っている。

 本日の歩む会行事は此処で終了し地下鉄天六駅に戻る。