歩む会 妙見演習林便り

歩む会の活動を掲示します。

歩む会10月の行事:高槻市安満遺跡公園

  今年3 月の歩む会サ-クルで歴史探訪の候補地としてTNさんから今年3 月にフルオ-プンする高槻市の安満遺跡公園が候補氏として提案された。その後新型コロナ禍で緊急事態宣言が発出され、シニア自然大学校も5 月以降活動が中止された。10 月に入り緊急事態宣言も解除され、シニア自然大学校の活動再開に伴い歩む会も6 ケ月振りに活動再開した。

 JR高槻駅10 時集合、参加者3 名。構内の案内所で安満遺跡公園の案内書を貰う。駅南側の線路沿いの歩道を進む。足元に安満遺跡公園までの案内図があり、弥生人の歩数と距離が書かれている、弥生人は1 歩60cm。線路越し北側に関西大学高槻キャンパスが見える。大阪医科薬科大学を過ぎ、交差点を渡ると直ぐ安満遺跡公園である。

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 公園入口から公園中央に伸びるみち広場を進む。屋根付き広場などを過ぎ右折、稲作/野菜などの生産域に着く。水田は弥生時代の「古代米」を植えているそうだが収穫され稲架に架かっている。その先に畝に囲まれた6枚の空水田跡には足跡が点々と伸びている。平成20 年(2008)木製の又鍬・斧の柄・平鍬が出土したということだ。これらを撮影していると、通りがかりの地元の方が、半時間余り公園開場までのいきさつを詳しく話して下さった。

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 先ほど曲がった交差点に戻り東へ直進する。左手奥に旧京大農場の本館が見える。さらに進むと自動車が通れる舗装した道が南北に走り、公園を東西に分断、頻繁に自動車などが通行している。注意しながら横断すると再び公園内に。一番奥が墓域であり、昭和45 年(1970)に発見されたコウヤマキの木棺墓、昭和47 年に発見された方形周溝墓群がある。

f:id:aramah:20211106105217p:plain   公園内を横切る自動車道を再び横切り環濠に囲まれた住居域に入る。施設には旧京大農場本館・農場別館・農場加工室・農場器具庫の4 棟がある。旧別館は展示室に使用し安満遺跡の歴史や弥生時代の暮らしを映像やレプリカで紹介。弥生時代前期からの地層の剥ぎ取り展示している。建物の柱穴跡、出土の櫛・首飾り・カンザシ・木製さじ・木製柄杓・土器の鉢・石製の斧・木製鍬・木碗・銅鐸(舌)・矢・臼と杵などが展示されており、一部の器具などはレプリカの説明映像の前に持って行くと説明が始まり、同時に中心部にある窓に手に持った器具が出て撮影出来るようになっている。

f:id:aramah:20211106105300p:plain   環濠内の居住区には竪穴住居跡があり、発掘調査の際には多数の柱跡が有ったそうだ。居住域の出口(入口)に安満ムラ全景、ムラの暮らし=住まい・土器.農具.鏃の出土品写真やイラスト、ムラのポイントなどの解説ボ-ドがある。帰路は往路を引き返しJR 高槻駅前で解散13.50。

(KT 記)

 

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