歩む会 妙見演習林便り

歩む会の活動を掲示します。

歩む会2月の行事:飯盛城址探訪

R.02.02.10 参加者2名

 歩む会行事で平成30年4月三好長慶ゆかりの芥川山城を訪れた。その後昨年10月長慶ゆかりの生駒山系北部にある飯盛城址を企画したが、悪天候の為中止、今回リベンジすることになった。

 JR野崎駅10時集合、駅前の谷田川に朱塗りの野崎橋が架かっている。商店街を東進、170号線(東高野街道?)を越すと福聚山慈眼寺(野崎観音)に至る。境内に南條神社がある、祭神は牛頭天王素戔嗚命。野崎地区の鎮守として厚く信仰されている。野崎観音のHPによれば、「天平勝宝年間(749~757)に大仏開眼で来朝した婆羅門僧正の話に感動した行基が十一面観音を刻み安置したのが当寺の始まり」とあるが、行基開基49院には記されていない。

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野崎観音

 標高114mに野崎城址がある。飯盛山南西の尾根に築かれた山城で城域は南北200m×東西180mと推定される。太平記によると四条畷合戦(1348)において、北朝軍の縣下野守が南朝楠木正行と対峙したと記されているとのこと。眼下に北河内の町並みや西側には大阪の町並みや南河内の町並み、金剛山地が見える格好の展望台である。此処から少し下り谷川沿いの舗装路と合流。程なく山道となり、七曲りコ-スを上る。階段状に整備されている辻の新池の中にオオマリコケムシをHYさんが発見。外肛動物で寒天質を分泌して巨大な群体を形成する。

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眼下に北河内を望む

 下の展望台では他のグル-プが休憩中であり、正行像下で昼食。風もあたらず寒くはない、気温は7℃。飯盛城は東側に深い谷があり、北と西側は険しく、また河内平野や京都まで一望できる軍事的に重要な場所である。南北朝時代には城が築かれたと推定され、本格的に整ったのは畠山の家臣、木沢長政が居城とした享禄4年(1531)頃とされている。その後、永禄3年(1560)三好長慶畿内平定の本拠地として入城した。南北約1200m、東西500mの城域に大小約70の郭が築かれていた。天正4年(1576)頃に織田信長の勢力によって廃城となった。飯盛城址案内マップがあり、それに従い残された石垣を探す。

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石 垣

(KT 記)

 

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